向こう岸

最近はもっぱら同人イベントの参加記録

あいまいな言葉「ゲーム」

 意味があいまいな言葉を使ったせいで議論が混乱することはよくある。その意味のあいまいさを悪用して、恣意的に意味を使い分けることで議論を誘導することもある。

 意味があいまいな言葉の一例は「ゲーム」だ。「ゲーム」という言葉はゲームクリエイターとか評論家の間でも定義の取り方が違っていてしばしば議論の対象になる*1。しかしここではそういうプロパーな文脈ではなくて、もっと一般的に報道などで使われる言い回しに表れる「ゲーム」という言葉について考えてみる。
 一つは「ゲーム感覚」という言い回し。よく「ゲーム感覚で犯罪」なり「ゲーム感覚で学習」みたいな言い回しをされることが多い。私の印象では「ゲーム感覚」は「遊び感覚」という意味に近いニュアンスで使われているようだ。またその一方で、特に犯罪の場合にはビデオゲームと結びつけるように使われることも多い。ちょっと被害妄想チックか。ともかく意図的でないにしても紛らわしい。「遊び感覚」と呼んだほうが適切ではないかと思う。
 もう一つは、「人生はゲームだ」といった、なにかをゲームとして例える言い回し。こういう言い回しは批判を受けやすい。この言い回しに反発する人は「ゲーム」を「娯楽」という意味として捉えている。しかし、「人生はゲームだ」みたいな言葉を言う人は、そういった「娯楽」という意味でゲームという言葉を使っている人もいるが、それだけではない。ゲーム理論における「ゲーム」の意味に近い文脈で、ゲームをルールやリソースというシステム面に着目してゲームという言葉を使っていることも多いだろう。数年前受けた、ゲーム理論に関する講義の担当教員は当然そういう意味で「人生はゲームだ」と言っていた。こっちの場合は適切な言い換えは思いつかないなあ。